子育ては覚悟の連続なのかもしれない
最近よく思う。
子育てってなんというか…この世に生み出した以上子に対しての責任がある。
当たり前のことなんだけどさ、意外とそれが揺らいだり、責任を持つことに対する覚悟を決めるのに時間が必要なこともあるんだなと。
自分の選択に責任を持つ覚悟。
〇〇をやりたいと言われてやらせる覚悟も然り、やらせないのにも覚悟がいる。
例えば娘。
年長さんだけど習い事を月火水木とやってる。
これはこのまま続けていいのか?続けるべきなのか?本人が望むままにやらせていいのか?
って色んな問いが止まらないのね。
で、自分が納得いって覚悟が決まる結論に辿り着くことが意外と難しい。
でも選択できることとできないこともあって。
娘が弱視でおそらくこのまま視力の左右差は埋まらないで一生眼鏡をかけてすごしていくということの事実は変えられない。
息子が自己免疫性の疾患にかかったこともなかったことにはできない。完治という概念はないので、生涯にわたって再発しないか、寛解の状態を保ち続けていけるのかを生きている限り気にして生きていく必要がある。
頭では理解している。
でもなぜ?なぜうちの子どもたちが?という思いは親であれば抱くのは自然なことだと思うのです。
そんな色々を含めて
生きていく覚悟を決めるプロセスは
人それぞれ。
よし!と決めてもそれがまた揺らぐのも普通のこと。
振り子の振り幅は少しずつ狭くなっていくかもしれないけどきっとユラユラはずっとするものなのよ。
日々色んな覚悟をもって生きていかねばならんのですわ。
そりゃ疲れる。
疲れてしまう自分も
揺らぐ自分も
許せるようになりたいものですなぁ。