娘が新生児期だった時の自分を振り返る
娘を1年育てて育児で一番辛かったのはいつだろう。
成長過程ごとに悩みは尽きない。
今だって離乳食、夜泣き、イヤイヤ期のはじまりと盛りだくさんだ。
でも思い返せば一番心身ともに辛かったのは新生児期。
里帰りは実家が近くだったのでしなかった。
連日母親からの食事の支援と私がシャワーを浴びる時に娘を見てもらうことだけでも物理的、生活的にはなんとかなったから。
産んだ瞬間から一人の人間を人間として社会生活を送れるように肉体的にも精神的にも知能的にも育てて行くというミッションが与えられる。
仕事柄たくさんの新生児をみる機会があった。
でもそれはあくまでも仕事だったことを思い知る。だって仕事には終わりがある。そして代わりがいるしお給料だってもらえる。
でも目の前にいる自分が産んだ子どもは違う。
逃れられない。
この世に産み落とした以上、なんとしてでも生かさなければならない。
まるで自分の首に一生取ることを許されない鎖を繋がれた気分だった。
なんていうプレッシャーなんだろう。
そしてかわいいなんて思えなかった。
初めましての感想なんて酷いもんだ。
「本当に人間がお腹に入ってたんだ」
素直にそう感じて不思議な感覚だった。
なのに周りの人は「かわいいでしょー?」と私にいちいち確認してくる。
ひねくれずにテキトーに「かわいいよー」と返事してニコニコしておけばよかったのに「かわいいだけで子ども育ったらいいんだけどね」とめっちゃ性格悪い返答をしていた。
わざとじゃなくて本当にそう思ってた。
産後のホルモンの威力にも驚いた。
今考えればなんでもないことにイラつき勝手に涙が出てきたり怒ったりしてた。
特に一番身近な存在の旦那は一番イライラした。
子どもが生まれる前と後で全く変わらない旦那。
当たり前のことを当たり前にできていることにすら怒りを覚えた自分に驚いた。
普通に寝て、普通に起きて、普通にトイレに行き、普通に洗顔をして、普通に髭を剃り、普通にお茶を飲んだりする。
いつも当たり前にやっていること。
でも私は子どもが生まれた瞬間から普通のことを普通にやることができなくなった。
今考えたら泣いたって別に死にはしないから御構い無しにやればよかったのに。
でもそれが母親というアイデンティティが、産後ホルモンが邪魔をするのである。
全てにイライラする。
でもそれがなににイライラしてるのか、どうしてこんなにイライラするのか旦那に説明する元気もない。
察してくれ。
まともに会話すると泣き崩れそうになるほど追い詰められた。
旦那が仕事に行くと24時間勤務のため次の日の朝まで帰ってこない。
言葉も通じないなにを求めてるかわからない宇宙人のお世話が一人で24時間だ。
しかも旦那は仕事から帰った来たら帰ってきたで「疲れたからちょっと寝てくるねー」と昼まで寝るのだ。
これも生まれる前は日常だったからなんとも思わなかったが産後は違う。殺意レベルでイラついた。
疲れた?!寝る?!
え、私も夜勤明けレベルなんだけど。
自分だけ寝に行くとかどういう考え??
自分優先すぎない?
こんな考えがぐるぐるするけど口に出せない。
言葉にしてしまうと私がギリギリで保っている理性が決壊するのがわかるから。
旦那は睡眠に執着があった。
そのため娘が生まれた後はずっと別室で寝ていた。
休みは昼前まで寝てたい人だし絶対に0時までには寝る。
仕事が消防士なので睡眠不足は職務遂行時のミスのリスクとなるのも分かる。
完全母乳育児で哺乳瓶も拒否する娘。
夜間の授乳ができるのは私だけ。
これも自分を追い詰めた。
産後2週間ごろに限界がきた。
娘を寝かしつけて旦那とちょっと遅めの夕飯を食べていたけど味がしない。勝手に涙がぼろぼろ出てきて止まらない。
ご飯が飲み込めない。
「しんどい。」
やっと出た一言。
困った顔をした旦那。
「じゃぁ俺はなにをしたらいい?」
そんなの自分で考えてよ。
って言いたかったけど次に続く言葉が出てこない。
旦那は旦那で十分にサポートしてくれてたと思う。
掃除、洗濯、洗い物全部やってくれていた。
家にいるときは全ての娘のオムツ変え、お風呂もしてくれた。
なのにこれ以上私は旦那になにを求めてるのかも自分で分からなくなるほど、伝えることができないほどに疲弊していたんだと思う。
「寝たい」
絞り出した二言目。
この日から次の日が仕事じゃない日の夜は一緒の部屋で寝て私は授乳だけをして授乳前のオムツ替え、授乳後のげっぷ、寝かしつけは旦那がやってくれることになった。
それだけでどれだけ体が楽になったか。
さらに「寝てきなよ」となにも気にせずに日中に3-4時間お昼寝させてくれることも増えた。
たがたが新生児期なんて1ヶ月ほど。
それが永遠に続くんじゃないかと思うくらい当時は辛かった。
日本は慣例的に産後1ヶ月は引きこもりが当たり前みたいになっている。
でもさ、別に自分が望むなら外に出たっていいよね?
気候がよければ赤ちゃん連れてそこら辺お散歩してもいいよね?
二週間健診を終えた数日後、娘を抱っこしたまま家の周りを少しお散歩した。
見ず知らずの御老人が生まれたてホヤホヤの娘をみて「まぁかわいい!でもこんな生まれたての赤ちゃん外に連れ出してかわいそう」と私に言った。
「お天気がよかったので。」と一言だけ言ってすぐに家に帰った。
見ず知らずの人に言われた「かわいそう」が突き刺さる。
かわいそう?かわいそうなことをしたの?
かわいそうだって?
理解できない。なにがかわいそうなのか理解できない。
たかだか私の育児の一片をみて「かわいそう」という評価を見ず知らずの人に下された絶望感でまた引きこもった。
あの時、いつでもいいから誰かが引きこもりなんてしないでいいんだよと外に連れ出してくれたなら、ちょっと見てるから出かけてきなよと言ってくれたならどれだけ救われただろう。
産後1ヶ月訪問に来てくれた保健師さんと話しただけで心が晴れた。
よく育ててるねーって言ってもらえてホッとした。
新生児のうちに会いたいと会いに来てくれた友達と会話するだけで得体の知れない心のモヤモヤがスッとした。
家族以外との何気ない関わりや会話がこれほどまでに産褥期の人間に必要だということは誰も教えてくれなかった。
教科書にも母子手帳にも書いてないし産院も教えてくれない。
そして産後1ヶ月は母親も子どもも家の中で過ごすのが当たり前だという一種の呪いのような慣例にまんまとやられてしまった。
社会と関わりたい。
孤立したくない。
家族以外の大人となんでもない話をしたい。
赤ちゃんと離れる時間を欲しい。
眠る時間が欲しい。
文字にしてしまえば大したことないことなのに難しかった。
こんなことを考えてるなんて周りの人も知らなかったから、どのように手を差し伸べたらいいのかも検討がつかなかったんだろう。
母親はこうあるべきという母親像を新生児期は自らの首を締め上げていくように作り上げてしまった。
最近幼馴染が子どもを産んだ。
彼女は妹のような存在で全面的に私を頼ってくれた。
退院の日も家に様子を見に来て欲しいと言われ、彼女の実家にいき沐浴を教え、母乳育児を目指しているから授乳も見てほしいといわれそれに応じた。
退院直後はそれでいいんだと思う。
まずは育児技術を取得し自信を持って育児をしていけるようにサポートする。それにより安心して育児を軌道に乗せることができる。
それが毎日、3日、1週間、10日と続くことによって次はぐっすりと眠れない身体的な疲労、同じことの繰り返しによる精神的な疲労、生かさなくてはならないという育児の緊張感が日に日に蓄積し始める。
偉そうだけどそろそろかなと思い彼女に連絡をした。
「子ども預けられそうならちょっとランチしよ!あと行きたいところとかあれば行こう!」
あの時私が誰かにかけて欲しかった言葉をかけてみた。
二つ返事で了承し、うきうきが伝わる文面で返事が来た。
快く彼女を送り出してくれた彼女のお母さんにも感謝。
2週間ちょっとぶりにパジャマじゃない普段着に着替えて現れた幼馴染は見るからに明るくて。
この姿を見ただけで自己満足かもしれないが連れ出してよかったと思えた。
どこ行きたい?!と聞くと買い物と回転寿司に行きたいと。
リクエストに応えて買い物で1時間ほどうろうろした後に回転寿司に行った。
てっきり産んだあとにお寿司を食べたのかと思っていたが食べていなかったらしい。
驚い勢いで幸せそうに食べていた。笑
食べながらなんでもない話をたくさんする。
その中で彼女がポツンと言った。
「毎日同じで暇だけど暇じゃない感じで産後鬱になるかと思った。本当に連れ出してくれてありがとう。」
わかる。
とんでもなくわかるよそれ。
だから連れ出したんだよとは言わなかったけど
「家族以外の大人と話したり外に出たくなる時あるよね!」と共感した。
帰りはスタバでドライブスルーをして新作を飲み、子どもを預かってくれた幼馴染の母の分もテイクアウト。
彼女の心も晴れたかもしれないけどなぜか私の心も晴れた。
あの時の私の絶望がなぜかその瞬間に晴らされた気がした。
子育ては一人じゃできない。
子育てにおいてやってほしいことは生まれる前に話し合うのもいいかもしれない。
特に具体的な指示をしないと旦那は察しては動けなかった。
産後ホルモンの影響で自分がどうなる可能性があるかを先に身近な人に伝えておくほうがいいかもしれない。
仲の良い友人がいたら新生児でも遊びに来てもらっても連れ出してもらってもいいかもしれない。
少しでも悩む母達が減りますように。